【ネタバレ注意】家族計画の話

 FDというより完結編と呼びたいんだけど、『家族計画 〜そしてまた家族計画を〜』をプレイし終えた。生きてから死ぬまでどう時間を消費したかという、本当にそんな話だった。

 人は生まれてから死ぬまでに、必ず人と接するだろう。けれど、どれくらい、どのように接するかは人によって大きく異なる。そんな人と人との付き合い方をもがき苦しみながら考えて、必死で生きた彼らの姿の"最後"がこうなんだ。良くも悪くも結局人は死ぬんだ。やっぱり人生は死ぬまでの道だった。でも悪いものじゃないなと思った。

 書いていて思ったけど、私にはこのことを文章にできない。本当に、「なんと言っていいかわからない」という言葉が似合う。

 いつものごとく、胸に刺さる言葉を並べてみる。

「……これは……司が作った最後の料理なんだ」「誰がなんと言おうと、食べる」

「それ以上、どんな理由がいるというんだね? あかり君」

 特に後者。まず第一に、思い出ボムであるということ。そして第二に、人生は自分で変えられるんだと間違いなく言えるということ。

 この言葉に涙腺緩むのは本編をプレイしていることが条件だと思うが、まさかこんな爆弾を抱えているなんて思ってもいなかった。この作品(完結編)において、たったこの一行だけで泣いた。けれどこの作品が一行だけじゃ泣けないんだ。

 人は結局、必ず人と接するだろう。けれど、人と接する理由なんて大したものじゃないんだ。学校で出会った友人、ネットの世界で出会った仲間、すべてが偶然に始まっていて、何気ないことで特別なものに変わるのだ。

 ベタでクサい言葉になってしまうけど、出会いを大切にしたいと思った。助けたいと思うのも、好きだなと思うのも、理由なんていらないのだから。そう思ったなら、そうすればいい。


 人が社会で生きていくことという概念に対して真っ向から描いた作品だった。司の生き方が正しいとか、そういうことはない。それぞれの選択がそれぞれの人生になっていくのであって、人生に正解はないんだろう。

 私は死ぬときに、「まずまずの人生だった」と思えるならいいなと、司の人生をほんの少しだけ覗いて願ってみた。もしくは「楽しかった」かもしれない。楽しいことは大好きなんだ。

 家族計画、とても面白かった。一周するのもそこそこの体力が必要なんだけど、たまーにこの家族のもとに足を運んで泣きたいなと思える作品だった。この心に残る何かを味わってほしい。ぜひDLsiteとかGyuttoとかで買ってください。おすすめです。

 それではまた、次の記事とかTwitterでお会いしましょう。