【ネタバレ】キンプリ四章の違和感
そもそも、これまでのキンプリは"想いで超える"ってスタイルだったんだけど、今回"想いで傷つける"という禁じ手を行った結果、シンにできることは(謝るという)形で伝えるしか方法がなかった。
そんな禁じ手すらも使っているのに、なんで菱田監督は赦すことを許容したんだろう。
赦す人もいるかもしれないけど、誰もが赦すわけじゃない。確かにプリズムショーで誰もを笑顔にしたいのはわかる、わかるけど、謝るという形で傷ついた人だれしもが許してくれるなんて世界は間違っている。
いやまあ、禁じ手を使いやがったのはシャインってやつで、赦されるべきはシンなので合理的と言えば合理的だけど、でも非論理的だし、シンにはとても申し訳ないけどここで赦されるのはおかしいよ。会場どころかスクリーンの前でシャインに傷つけられた人間がいるだろうに。
あのときのシンは、どこか一人でも悲しむ人がいたならステージから降りただろうし、ステージにもう上がれなくなっていたかもしれない。それをプリズムの煌めきではなく、赦すことの強要で解決した。なんでなんだ。
あー。いや書いてて、会場の人間はこれはシャインじゃなくてシンだって、なんとなくわかったという解釈も浮かんできた。さっきとは違う、危険な存在ではないと認知した。うーん……ちょっと無理がないかなぁ。
余談
この記事自体はTwitterに流れてきた他の方の記事に触発されて書いたんですが、キンプリ歴の短い私にとっては以下に同意できていません。
プリズムショーはみんなを笑顔にするもの
"プリズムショーでみんなを笑顔にしたい"のは、それそれのスタァの想いであり、それを実現するために努力をしていて、結果としてプリズムショーでみんなを笑顔にできている、ということだと解釈しています。
どこかで言及されていたら申し訳ないんですが、監督自身が"プリズムショーでみんなを笑顔にしたい"と考えていると断言できません。同様に、このプリティーシリーズのすべての存在が"プリズムショーでみんなを笑顔にしたい"と考えていると断言できません。
と書いたものの、何もかも根拠が無いので申し訳なくなってきた。はわわ~すみません~。