Marco3jp Advent Calendar 2020: 初日 自己紹介
はじめまして!!!!!!!私はMarcoってハンドルネームの存在です。
IDでよくMarco3jpって使うので*1、本アドベントカレンダーはそちらを採用しています。
このアドベントカレンダーについて
Marco3jp Advent Calendar 2020 - Adventar に記載されているのはざっくり書く内容のメモで、その日にその記事が来るとは限らないです。
基本的に私が毎日書きます。寄稿したい方がいたら言ってね(いないでしょ)。
ただまあ、基本的には並べ替え程度で、だいたい書かれているテーマは書く気がします。もしかすると突然別のテーマで書くかもしれないけど、そのときは入れ替えになります。
あと正直書ききれるかわからないのと、初日から分かる通り、1日のものは1日のうちに書くことを目指す程度です。全く書けずに遅れた場合は一日保留にして、書き途中なら日を越しちゃっても当日分として扱うというルールで行います。
本編:自己紹介
今日は自己紹介の回ということにしたので自己紹介します。
ハンドルネーム
Marcoです。このハンドルネームはもう10年近く使ってる気がします。
大学の知り合いにはハンドルネームで呼ばれることが多かったので、ここ数年で特に本名並みの感覚です。*2
年齢
来年新社会人になる感じです。だいたいそんな感じ。
好きなこと
- ものを作ること
- 文章を書くこと
- 考え事
特に好きなもの
好きじゃないこと
- 嫌いな(ものの)ことばかり考えること
技術的なところ
- GitHubアカウント
- 少しだけプログラミングを触ってます*5
- 開発環境はArchLinux、WebStormとか
- 多分JavaScriptとかTypeScriptとかは書ける
- 比較的仕組み自体を理解したがる傾向にあるので、新しい分野も理解に取り組む流れで参入できるかもしれない
- デザインパターンとかには弱くて、特に、デザパタの形をどのように実装に落とし込むのかと、そしてそれが正解*6であることがわからないことが苦手
備考
あとがき
めっちゃ眠いのでいまいちわかってないんですけど、自己紹介ってこんなもんでいいんですかね。まあTwitterみてくれたら私のことはよく分かると思います。
多分この眠さはコーヒーを今日飲んでないからですかね多分。
明日はなに書こう。多分このアドベントカレンダーの裏目的みたいなものを話します。
じゃあ一日目、読んでくれてありがとうございました。
*2:大学ぐらししてたときの冷蔵庫には名前を書いて入れるルールがあったので、多分学生生活では本名よりハンドルネームのほうが書いてます
*3:いわゆる競技シーンと呼ばれるプロの大会など
*4:ビール, キンミヤ炭酸, 日本酒, ワイン, 梅酒, などが好き (スピリッツは経済・環境の面でまだ手を出していなかったという背景がある)
*5:日々学び……
*6:厳密な正解があるとは思ってないんだけど、ある程度パターンごとに"よくある形"みたいなものがあるイメージ
*7:今日時点で今年9500トラック再生している程度にたくさん音楽を聴きます。全期間だと最も再生した曲はDressingPaféのGet Over Dress-codeです
のーたいとる(2020年10月19日版)
あ~なんか甲種焼酎の酔い方がめちゃくちゃ好きなんですよね。丁寧に酔わせてくる感じ。頭がぼやけてくる感じ。吐き気に訴えかけてこないのが好き。
自分のアイデンティティというか、自分とはなにかみたいなものを考えたときに、クリエイティビティと言いたいんですけど、その活力があるかというと、実際に物を作っている人はすごいなって思うほどで、私にそれがアイデンティティであると言えるほどじゃないんですよ。
私は文章を書くことが好きですし、それは今こうやって書いていることを含めてです。ただそれって別に技術的な観点とかそういうのではなくて、文章を紡ぐためにタイピングしていることか、まあもしくは文章を紡ぐことか、その事自体が快感なんですよ。紡がれている姿っていうか、それが。
でもそれって技術に裏打ちされたものじゃないし、支離滅裂で、頭を書いているときに尻まで考えていることってあまりないんですよね。なので、今卒業研究をしているときに、説明の難しさとか直面しているし、その難しさにこれまで気がつけなかったんだなという悔しさもあったりするんですよ。
あと私は世界を作っているじゃないですか。知っている人なら知ってると思うんですけど。
でも中高と社会って言われたやつをまともに受けていなかったというのも事実で、最近になって社会と歴史の関係性とか、そのあたりを知って、うーむ自分に世界が作れるのかとすごく悩んでいたりするんですよね。
となると残された技術的なものってプログラミングなんですけど、私自身まだ3年もコードを書いていないし、その上分野はウェブフロントエンドに偏っていて、それもVueとかNuxtとか、ごく一部のライブラリに依存していて、平たく言う「プログラミングできる」とは世界が異なるんですよ。デザインパターンを通ってこなかったのもあるし。
というところで、アイデンティティがないのかなぁって少し悩んでいたりします。対人関係も弱い、創作面も、技術面も、あと書いてないけどゲームも中途半端、どれもこれも私を形作るものではあるけど、私を象徴してくれないような要素でしかなくて、私というのは一体なんだろうなぁと書いているわけです。
自分は自分が好きだと言っておきながら、自分に自信が持てなくて、悩んでいるってすごく面白いですよね。それ以前に、私は私だから私を捨てきれないし、どうにかしなきゃいけないってそりゃ思うじゃないですか。
頑張れるということがすごい、というのはかなり自分の中で定まった考え方で、「頑張る」ということ自体がそもそもすごいと思うんすよ。頑張ってXXXをできた、ではなくて、頑張ってXXXができるように取り組む、ということ自体がすごいんですよ。
私は私の世界を作りたいとか、体験を生み出したいとか、色々思いついたりはしました。多分思いつくって事自体は私だけじゃなくて多くの人が経験するんですよね。でもそこから一歩、頑張るってステップに進めない。惰性で動いてしまう。そんな現実が目の前にやってきたとき、ああ自分は頑張れないのか、って知ったんですよ。
多分きっと私は頑張れないんですよ。今年の一月までは大学に泊まり込みでコード書いたりしてました。でもそれって頑張っていたというよりも、「過酷な環境に身を置いていた」であって、「頑張った」とは違うんですよ。どちらかというと「頑張ろうとした」とか、「頑張らざるを得ない環境に身を置いた」という行動なんですよ。
でもこれって面白い話で、頑張れない人も、頑張らざるを得ない環境に身を置くと頑張れることもあるんですよね。実際、そうやってどうにかフロントエンドに偏りながらもそこだけはできるようになったので。
その一方でなんか、私はもっとできる、こんなはずじゃない、できたじゃないかって心もあって、それは嘘なんだよ、私は私でしかなくて、今の私が私なんだ。というせめぎあいをしているっていう感じ。
自分を認めればいいけれど、自分を自分に収めたくなくて、もっとできるはずだって期待しちゃうんですよね。そんな未来待ってないのに。
進もうとして失敗するくらいなら今の身のままに振る舞えばいいのよ、あんたはあんたなんだから、って抑え込もうとする自分の思いでもあるんですよね。もしかしたらやったらできるかもしれないし、やること自体は無駄にならないかもしれない。でもその徒労は無駄なんだって思いたいという願望。その世界なんて無駄なんだと思いたいだけ。
結局、自分なんて、自分と自分に挟まれて存在するだけでしかなくて、揺らいでい続ける中でどこに行くかでしかない、まるであみだくじのような存在に思えてくる。
それでもまだ、煌めきを失いたくないって、しがみつきたいなって思っているから、きっと明日はうまくいくはずだって思い続けて、私なりに挑みづつけたいな。
誰かにちょっとの「いいな」でもいいから、私の力を世界の役に立てたいなという気持ちは間違いなくあって、誰かの生活、誰かの幸せを生み出したいのが本望だ。
昔に書いたんですけど、最後にこれを引用して終わります。
好きって感情ほど最強なものはないと思ってる
— Marco.vue (@Marco_utau) December 29, 2019
PS. しかし、感染症というのは本当に困ったもんですね、社会とか人間とか、何も考慮してくれませんからね……。
のーたいとる(2020年10月11日版)
お久しぶりです。
コンテンツは生き物で、二度と同じ日には戻ることができない。
今日はこのことだけ書きたかった。作品とはまた違う、コンテンツって存在の何より特別で代わりのないこと、それが書きたかった。
今日はもう二度とやってこないんだ。
のーたいとる(2020年9月3日版)
今日は感情とか重い話じゃなくて、近況報告的な。
お引越し
・11月くらいにしたい
・地域はある程度決めてある
・5000兆円とは言わないので5000億円非課税でほしい
創作
・ダッシュボード作りたい
・自分が楽しめるゲーム作りたいけど中身は何も決まってない
・私のための世界を作り進めたい
・Paradise Lostというツールで敵2体のシミュレーション中1体しか実装終えていないのでそちらを終わらせたい
趣味
・LoLの競技シーンがめちゃ詰まっててヤバい
のーたいとる(2020年8月13日版)
なんか書こうとしたけど何書きたいんだろう。
もう半年近く家から自由に出るようなことはそうそうなくて、まあ別にみんなそうだと思うんすけど、流石にこう自由が妨げられるというのは苦しいもんすね。
自由を奪ったのが人ではないので、かなり理不尽にしんどいな~と思うしかないのがまたこうしんどいですよね。
Mozillaが多くのチームを解体したという話が流れてきた。びっくりした。確かに今の標準化においてGoogleが圧倒的ではあるものの、MozillaもMSは次いで大きな存在だし、IBMや他様々なIT企業からコミッターが生まれてWebが形作られているのが現状で、Mozillaのチーム解体はかなり大きな影響を与えるのではないかと思うところがある。
正直、MozillaがGoogleを超えてくることなんて思ってもいなかったけれど、それでも十分価値のある立ち位置だったと思っていただけに、そうなってしまったか……みたいな喪失感みたいなものを覚えた。
MDNやらFirefox、今後の標準化にどんな影響が出てくるかわからんが、MDNにコミット(寄稿)するくらいが私の技術領域だと行えることなので、少し目を向けて見ようかなと思った。
閑話休題。
私はこれからどうなっていくんだろうということを少し考えた。
私は創作が好きなんだろう。ものを完成させられるかはともかく、頭の中のアイデアをどうにかこねくり回したりするのが好きらしい。
あと、自由が好きだ。私がやりたいと思ったことをやり、私がやりたいないことはやりたくないのだ。私はとにかく私であることを貫き、私の思うままに、自由に活動がしたい。
とはいうものの、いくらなんでも赤ちゃんではない(眠いときに欲にあらがわずn度寝を行う挙動自体は赤ちゃん特有らしいのだが)ので、そんなことをしていたら夜露でも飲んで生きていかなければならなくて、それはそれで自由ではないというジレンマを抱えているような気分になっている。
なので、まだ社会人にすらなっていないのだが、私の人生でどうしたらこの私の思うままを謳歌できるのだろうかと悩んでいたりする。ちなみにこれはほんとにここ一ヶ月くらいの話である。多分、一人暮らしがどうとか考え始めたので、語弊も何もなくぼっちという存在でふわふわしてしまうことへの怖さというか、私のなりたい私になりたいんじゃないのか、という意思とかを気が付かないうちにリフレインしていたんだろう。
ちなみに、物を作りたいというのも、特にここ半年くらいで特に具体的になってきて、「体験を作りたい」と明言できるようになってきた。
この「体験」というのは、別に今私が主戦場にしているWebとか関係なく、人の生活レベルにまで解像度を下げて(つまり例えばステージ上のミクロな演出にとどまらず)行うことが理想で、「中学生活」とか、「高校生活」とか、「夏休み」みたいな、ふわっとしているのに言われるとイメージできる体験、というのを生み出したい。
今のソシャゲにしろ、色々生活と密接になっているコンテンツは多いと思うけど、参考にできるところはしつつ、なんとも言えない乖離(本当になんとも言えない。あえていうと、その体験と生活というのに全く関係性がなく、いわゆる「二次元」という下位互換的な世界に飛び込んでいるという点で、現実と体験に乖離が存在しているような感覚、画面内の出来事でしかない)はどうしたら埋め合わせられるんだろうかと考えたりもする。
また話を戻そう。
こんなことがしたい、こんな場所に行きたいって思いはどうやったら形にできるんだろう。正直な話、未来に不安とかあまり感じていない。技術的にも、思想的にも、私には少なくとも価値のあるものは生み出せる(というか価値のあるものの生産現場にいけば生産工程をまかなえるスキルがある)ので、不安というのは桁外れにあるわけではない。そりゃもちろん、突然その分野が荒廃した大地にならないなんて保証はないので、いつでも気を張っているというのは事実だけど。
ともかく、未来への不安のなさの割に、未来の自分への不安はあるというか、自分というものが確立できていないんじゃないかということが言いたかった。
以前から「私のなりたい私」という話はどっかに書いたりした気がするけれど、その姿だけ思い描いていても、「私のなりたい私になる私」とか、「私のなりたい私になる道」を思い描けれなければ、いつまでもたどり着けないのは当たり前でしたね。昔から、道筋を描くということはあまり得意でなかったなぁと、作業日程をPMに伝えている今思うというのは、なんともよくわからんですね。
のーたいとる(2020年8月11日版)
インターネット上の無価値に思える、匿名によって描かれた文字列に、価値があるか判断することにもう少しだけ目を向けてもいいのではないだろうか。
匿名を冠しインターネット上に描かれたというだけで価値判断を放棄している現状は、あまりにもったいないように思ってしまう。
のーたいとる(2020-08-05版)
おはようございます。酔っぱらいのMarcoです。
何考えてたのか忘れちゃったははは。
気がついたらめっちゃ飲んでるし、米津玄師はサブスク解禁するし、なんもわからんわwwwwwwwwwwwww
結局何考えてたんだろうな、なんかすごい納得した記憶はあるんだけど、書くまで覚えてられなかったんだよな
リアルタイムでドキュメントを更新していけるSNS面白そう
ツイ消しとか言う概念ではない感じ
私ドキュメントがあって、更新したり書き換えたり、まじで書きたいことを書くみたいな場所
投稿って概念がない
米津玄師さんの曲を聞くためにWalkman + ヘッドホン(MDR-CD900ST)で聞こうとして、髪が邪魔でメガネも外したくなって外しているのですが、たかが70cm程度の距離さえもピントすら合わず、むしろ情報を失うための手段として活用できていることにすごく感情が動く。
なんていうんだろうなこれ、酔っ払って音楽聞いて思ったけど、目をつぶってたほうがいいな……っておもうんですよ。落ちていけるっていう感じ。
パプリカのイントロ、tofubeatsさんの水星にすげえ似てないですか?
どこかに連れて行かれるかのような、怖い感情がどこかにある。
目を開かなければ、落ちていくかような、そんな感情。
このまま戻ってこれないんじゃないかというそういう気持ち。
酔い落ちていく以外にこの境地に達することはなかった。
私は一体どこに落ちていくんだろう。酔いの世界だろうか?
なぜ私はこの気持ちを怖いと思うんだろう。落ちていくような感覚、ただ眠るときと何も変わらないはずなのに、目覚められないんじゃないかとどこかで思っているのだろうか。
手を掴んでくれる人がいてくれたら、それはとても安心できるんだろうなと思った。
そのまま落ちていくの、プラトニックの境地ですね
メガネがなければ正直まともに生きていけない人間なんだなと思った
目の前にある画面すら見えない。そんな人間なんだよな
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最近のP泣きすぎて箸が転がっただけで泣きそうってのがめっちゃ好き。