のーたいとる(2020年10月19日版)

あ~なんか甲種焼酎の酔い方がめちゃくちゃ好きなんですよね。丁寧に酔わせてくる感じ。頭がぼやけてくる感じ。吐き気に訴えかけてこないのが好き。

自分のアイデンティティというか、自分とはなにかみたいなものを考えたときに、クリエイティビティと言いたいんですけど、その活力があるかというと、実際に物を作っている人はすごいなって思うほどで、私にそれがアイデンティティであると言えるほどじゃないんですよ。

私は文章を書くことが好きですし、それは今こうやって書いていることを含めてです。ただそれって別に技術的な観点とかそういうのではなくて、文章を紡ぐためにタイピングしていることか、まあもしくは文章を紡ぐことか、その事自体が快感なんですよ。紡がれている姿っていうか、それが。

でもそれって技術に裏打ちされたものじゃないし、支離滅裂で、頭を書いているときに尻まで考えていることってあまりないんですよね。なので、今卒業研究をしているときに、説明の難しさとか直面しているし、その難しさにこれまで気がつけなかったんだなという悔しさもあったりするんですよ。

あと私は世界を作っているじゃないですか。知っている人なら知ってると思うんですけど。

でも中高と社会って言われたやつをまともに受けていなかったというのも事実で、最近になって社会と歴史の関係性とか、そのあたりを知って、うーむ自分に世界が作れるのかとすごく悩んでいたりするんですよね。

となると残された技術的なものってプログラミングなんですけど、私自身まだ3年もコードを書いていないし、その上分野はウェブフロントエンドに偏っていて、それもVueとかNuxtとか、ごく一部のライブラリに依存していて、平たく言う「プログラミングできる」とは世界が異なるんですよ。デザインパターンを通ってこなかったのもあるし。

というところで、アイデンティティがないのかなぁって少し悩んでいたりします。対人関係も弱い、創作面も、技術面も、あと書いてないけどゲームも中途半端、どれもこれも私を形作るものではあるけど、私を象徴してくれないような要素でしかなくて、私というのは一体なんだろうなぁと書いているわけです。

自分は自分が好きだと言っておきながら、自分に自信が持てなくて、悩んでいるってすごく面白いですよね。それ以前に、私は私だから私を捨てきれないし、どうにかしなきゃいけないってそりゃ思うじゃないですか。

頑張れるということがすごい、というのはかなり自分の中で定まった考え方で、「頑張る」ということ自体がそもそもすごいと思うんすよ。頑張ってXXXをできた、ではなくて、頑張ってXXXができるように取り組む、ということ自体がすごいんですよ。

私は私の世界を作りたいとか、体験を生み出したいとか、色々思いついたりはしました。多分思いつくって事自体は私だけじゃなくて多くの人が経験するんですよね。でもそこから一歩、頑張るってステップに進めない。惰性で動いてしまう。そんな現実が目の前にやってきたとき、ああ自分は頑張れないのか、って知ったんですよ。

多分きっと私は頑張れないんですよ。今年の一月までは大学に泊まり込みでコード書いたりしてました。でもそれって頑張っていたというよりも、「過酷な環境に身を置いていた」であって、「頑張った」とは違うんですよ。どちらかというと「頑張ろうとした」とか、「頑張らざるを得ない環境に身を置いた」という行動なんですよ。

でもこれって面白い話で、頑張れない人も、頑張らざるを得ない環境に身を置くと頑張れることもあるんですよね。実際、そうやってどうにかフロントエンドに偏りながらもそこだけはできるようになったので。

その一方でなんか、私はもっとできる、こんなはずじゃない、できたじゃないかって心もあって、それは嘘なんだよ、私は私でしかなくて、今の私が私なんだ。というせめぎあいをしているっていう感じ。

自分を認めればいいけれど、自分を自分に収めたくなくて、もっとできるはずだって期待しちゃうんですよね。そんな未来待ってないのに。

進もうとして失敗するくらいなら今の身のままに振る舞えばいいのよ、あんたはあんたなんだから、って抑え込もうとする自分の思いでもあるんですよね。もしかしたらやったらできるかもしれないし、やること自体は無駄にならないかもしれない。でもその徒労は無駄なんだって思いたいという願望。その世界なんて無駄なんだと思いたいだけ。

結局、自分なんて、自分と自分に挟まれて存在するだけでしかなくて、揺らいでい続ける中でどこに行くかでしかない、まるであみだくじのような存在に思えてくる。

それでもまだ、煌めきを失いたくないって、しがみつきたいなって思っているから、きっと明日はうまくいくはずだって思い続けて、私なりに挑みづつけたいな。

誰かにちょっとの「いいな」でもいいから、私の力を世界の役に立てたいなという気持ちは間違いなくあって、誰かの生活、誰かの幸せを生み出したいのが本望だ。

昔に書いたんですけど、最後にこれを引用して終わります。

PS. しかし、感染症というのは本当に困ったもんですね、社会とか人間とか、何も考慮してくれませんからね……。