のーたいとる(2020年8月13日版)

なんか書こうとしたけど何書きたいんだろう。

もう半年近く家から自由に出るようなことはそうそうなくて、まあ別にみんなそうだと思うんすけど、流石にこう自由が妨げられるというのは苦しいもんすね。

自由を奪ったのが人ではないので、かなり理不尽にしんどいな~と思うしかないのがまたこうしんどいですよね。

Mozillaが多くのチームを解体したという話が流れてきた。びっくりした。確かに今の標準化においてGoogleが圧倒的ではあるものの、MozillaもMSは次いで大きな存在だし、IBMや他様々なIT企業からコミッターが生まれてWebが形作られているのが現状で、Mozillaのチーム解体はかなり大きな影響を与えるのではないかと思うところがある。

正直、MozillaGoogleを超えてくることなんて思ってもいなかったけれど、それでも十分価値のある立ち位置だったと思っていただけに、そうなってしまったか……みたいな喪失感みたいなものを覚えた。

MDNやらFirefox、今後の標準化にどんな影響が出てくるかわからんが、MDNにコミット(寄稿)するくらいが私の技術領域だと行えることなので、少し目を向けて見ようかなと思った。

閑話休題

私はこれからどうなっていくんだろうということを少し考えた。

私は創作が好きなんだろう。ものを完成させられるかはともかく、頭の中のアイデアをどうにかこねくり回したりするのが好きらしい。

あと、自由が好きだ。私がやりたいと思ったことをやり、私がやりたいないことはやりたくないのだ。私はとにかく私であることを貫き、私の思うままに、自由に活動がしたい。

とはいうものの、いくらなんでも赤ちゃんではない(眠いときに欲にあらがわずn度寝を行う挙動自体は赤ちゃん特有らしいのだが)ので、そんなことをしていたら夜露でも飲んで生きていかなければならなくて、それはそれで自由ではないというジレンマを抱えているような気分になっている。

なので、まだ社会人にすらなっていないのだが、私の人生でどうしたらこの私の思うままを謳歌できるのだろうかと悩んでいたりする。ちなみにこれはほんとにここ一ヶ月くらいの話である。多分、一人暮らしがどうとか考え始めたので、語弊も何もなくぼっちという存在でふわふわしてしまうことへの怖さというか、私のなりたい私になりたいんじゃないのか、という意思とかを気が付かないうちにリフレインしていたんだろう。

ちなみに、物を作りたいというのも、特にここ半年くらいで特に具体的になってきて、「体験を作りたい」と明言できるようになってきた。

この「体験」というのは、別に今私が主戦場にしているWebとか関係なく、人の生活レベルにまで解像度を下げて(つまり例えばステージ上のミクロな演出にとどまらず)行うことが理想で、「中学生活」とか、「高校生活」とか、「夏休み」みたいな、ふわっとしているのに言われるとイメージできる体験、というのを生み出したい。

今のソシャゲにしろ、色々生活と密接になっているコンテンツは多いと思うけど、参考にできるところはしつつ、なんとも言えない乖離(本当になんとも言えない。あえていうと、その体験と生活というのに全く関係性がなく、いわゆる「二次元」という下位互換的な世界に飛び込んでいるという点で、現実と体験に乖離が存在しているような感覚、画面内の出来事でしかない)はどうしたら埋め合わせられるんだろうかと考えたりもする。

また話を戻そう。

こんなことがしたい、こんな場所に行きたいって思いはどうやったら形にできるんだろう。正直な話、未来に不安とかあまり感じていない。技術的にも、思想的にも、私には少なくとも価値のあるものは生み出せる(というか価値のあるものの生産現場にいけば生産工程をまかなえるスキルがある)ので、不安というのは桁外れにあるわけではない。そりゃもちろん、突然その分野が荒廃した大地にならないなんて保証はないので、いつでも気を張っているというのは事実だけど。

ともかく、未来への不安のなさの割に、未来の自分への不安はあるというか、自分というものが確立できていないんじゃないかということが言いたかった。

以前から「私のなりたい私」という話はどっかに書いたりした気がするけれど、その姿だけ思い描いていても、「私のなりたい私になる私」とか、「私のなりたい私になる道」を思い描けれなければ、いつまでもたどり着けないのは当たり前でしたね。昔から、道筋を描くということはあまり得意でなかったなぁと、作業日程をPMに伝えている今思うというのは、なんともよくわからんですね。