のーたいとる(2019年9月2日版)

ブログを書かないと○されるので書きます(適当)

特に内容がないようww

私の場合だと独占したいって思いと、相手が幸せになってほしいという思いの板挟みが起こってしまって、おそらく身を引いて幸せを願うのが"美しい"と感じてしまうのだと思う。なんとも言語化しにくいのだけど、これは自己犠牲的というか、私の思いを押し込めるという行動に酔っているのだと思う。現実的に、それが結論を出してしまうことを怖がっているのだとしても、行動に酔ってさえいれば間違っていないといい切れる。

追記: なんとなく、きっと引かない選択肢に幸せはないだろうと気がついているのかもしれない。今の選択がどんなものでも、それが失敗の選択肢だなんて思って選んでいる人なんてそう多くないだろうし。まあ、成功だと思い込まなければやっていられないなんてこともあるけれど。

ショートストーリー

「それで、どうなったの?」

「結局のところ別れるのはやめたってさ。やめたところで何も解決してないのにね」

飲み屋で交わされる、浪費されてきた話題のようなものだ。多くの人が通ってきた人間関係の道だから誰にでも持論があって、いつまででも語り続けられる。

「好きって思いと、合わないなって思いが重なった時って何が起こるんだろうね。絶望? 失望? むしろ希望?」

「一方的に好きで合わないなら始まりもしないにしても、互いに好きだけど合わない、って気がついたときには絶望にも似た感情を覚えるだろうね」

別に好きの思いは万能じゃない。生活をともにするのなら特に。

「あーあ、彼女たちを見ているといいなぁって思っていたんだけどなぁ。いつも、たとえ私たちと一緒にいるときじゃなくても変わらないんだろうなって思っていた」

「わかる。多分何も変わらなかったんだろうな。互いが互いに自然にいて、ほとんどぴったりだったのに、私たちといない時間に起こる自然がちょっとズレていたっていうだけ」

油とタバコとアルコールの空気に、しんみりした空気が流れている。果たして人間が合うというのは一体どんなことなのか。人が生きていて、果たしてどれだけの確率でその感覚に巡り会えるというのだろうか。

「よし、酒を頼もう」

「私も飲むー。ストロングゼロピッチャーで頼んでくれない?」

まだまだ夜は明けない。これは浪費されるだけの物語のかけらだ。

それはそうと

いつも人と人という話題を見ると、ユネスコ憲章の前文を思い出す。

この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。

戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。

文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。

政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。

これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。

その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。

国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)/The Constitution of UNESCO:文部科学省より引用

相互に知らないということは、究極的に戦争すらも招いてしまった。この文章もプロパガンダ的であるといえばそうなのだが、一旦そこには触れないことにする。

結局のところこのケースは他の国であるけれど、我々の生活で触れる人だって想像以上に別の世界に生きていて、本来は知る必要があるのにもかかわらず暗黙の了解のように思い込み、決めつけによって相手を定義しているんじゃないだろうか。

もっとコミュニケーションを取るという必要はあるのかもなって思ったりしたという話でした。まあ私にはあんまり関係のない話です。一方的に私について発信ばかりしているのですが、一向に私のことを知ってくれる人がいないなあと思っています。難しいね。

もう終わるよ

コミュニケーションって互いの情報交換だよねって話書こうとしたんですが、流石にもういいかなって思ったのでこのあたりで筆を置きます。

きっと美少女もこれくらい書いたら許してくれるでしょう。

ここまで読んでくれた人いたら感謝します。ありがとうございます。