思いつきで書いたのでのーたいとる(2019-08-13版)

心配も応援も極めて無責任な行為である。

しかしその根幹にある感情を誰が咎めることが出来るのか。何らかの能動的無責任さの上で持つなら控えるべきであるが、自分の中で自然発生的に生まれてしまった――というか芽生えてしまった感情は、当の本人でさえも少なくとも消し去ることは難しい。

ただ、その感情を表現するのかということについては十分に考える必要はある。まあ、確かにこの国では表現の自由があるわけで表現することは問題ないのであるが、仮にその感情が対象を思うものであれば思うものであるほど、対象に負の影響を与えない表現でなければ感情との乖離が生まれてしまうのではないだろうか。

表現することが必ずしも感情と一致した結果を生むわけではないという現実が、長い間私の中にある感情の行く末なのだろう、という雑感を文章にしてみた次第である。