のーたいとるなSS(2020-01-03版)
これはどうしようもないプロデューサーと、あるアイドルの、ひと夏の合宿という名の青春を描いただけの物語である。
――その青春は、たった一歩だった。
ジリジリと照りつける太陽と煩く喚くセミを背に、私は事務所へと歩いていた。
私が担当するアイドルはとても意欲的で、レッスンもオーディションもステージも全力でぶつかっている。
正直に言えば手に余っている。私の支えられる範囲をゆうに越していて、彼女のレッスンを支えることも、オーディションを指示することも、ステージにアドバイスをすることも、どれも彼女の力量を上振れさせるほどの能力すらない。
それを彼女はわかっているのかもしれなくて、別にそれをどうこういうようなことはしなかった。
それもそうだろう、言ったからよくなるわけではないのだから。私がこんな重要なことまでも無自覚だなんて、いくら彼女でも思っていないんだ。
……事務所にたどり着いて事務をこなしていたら、ふと戸が開いた。なんだか久しぶりな気がした。
「おかえりなさい。今日はもう予定なかったはずだけど、どうしたんだ?」
「えっとね、プロデューサー、夏の合宿って……やってみない?」
「…………合宿?」
それは彼女が踏み出した一歩で、その先に何があるのか、私には何も見えていなかった。
「ねえ!ほら!見えてきたよ!」
そうやってはしゃぐ彼女を見ていると、いつもステージで輝いているのとは違った魅力を知った気分になる。
「あれが合宿で使う島だね!」
私は彼女の思いを限りなく叶えようと尽力した。普段支えられないのだからこういうときくらいはと、どうにかある島の宿舎を一部借りることができた。
たった2日、今日一日と明日の午前中だけとはいえ、彼女にとっては大きな時間だ。トレーニングという面も大事だが、リフレッシュも兼ねてくれるといいなという願いが少しだけある。
どうしようもなく手が出ない世界には心配したり願ったり、そうやって一方向の感情を向ける以外にできることなんてなかった。
「そろそろ着くみたいだね。とりあえず予定だけ確認しておこうか」
すべての時間が夢につながっていると信じていて、その道をただひたむきに走る彼女はとても眩しかった。
彼女から提案された合宿といえど、内容は普段とそこまで変わらず、日が暮れる頃にはその日の練習は消化し終えてしまった。
「予定してたメニューはこれで終わりだね」
「合宿といいながらあんまりいつもと変わらないメニューだったけど、これでよかったのか?」
「うん、いいの。だってこの夏合宿は私だけのものじゃないんだ」
彼女はそう、はっきりと言った。
「どういう意味だ?」
「うーんとね、プロデューサー、どうしてこのメニューに納得した?」
「私が考えるメニューよりも経験則に基づいて考えられていると思ったから。オーディション、ステージで何を思ったのか、それを反映できるのはそのメニューだからだ」
「そう、か。なんていうかね、もっと喋ってほしいの。正しいとか間違っているとかじゃなくて、思いの詰まった言葉を交わしたいの。うまく行ってるなって思われるんじゃなくて、うまく行ったなって喜びあいたいの」
空は真っ赤に染まり、海に太陽が沈んでいくのがよく見えた。私はどんな立場でここにいるのか、わからなかった。
「ただこれを言いたくて合宿開いちゃった。でもね、こんなことは言わなきゃわからなかったんだ。言わなくても伝わることもあれば、言わないと伝わらないこともあって、言わないと間違って思われちゃうことだってある。私ってのはさっき言ったような人だから、私のプロデューサーなんだって胸張って、私とアイドルマスターを目指さなきゃ」
彼女の声はよく聞こえていた。
けれどもうそこに、私が知っていたはずの彼女はいなかった。
これはたった一歩の物語。その一歩は新しい世界につながっているのかもしれない。